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仁風閣の名前の由来

鳥取藩主であった池田仲博侯爵によって仁風閣は、建てられました

仁風閣は1907年に、池田侯爵が当時の皇太子嘉仁親王(後に大正天皇)の山陰行啓時の宿泊施設として鳥取城跡の扇御殿跡に建てた別荘で、皇太子が行啓に来た時、皇太子に随行した元帥海軍大将の東郷平八郎が仁風閣と名づけられました。

フレンチ型ルネッサンス様式を基調とした、白亜の木造瓦葺の2階建ての建物は、その外観の優雅さや日本庭園の美しさが相まって

国の重要文化財に指定されています。

館内は資料館として鳥取藩や、池田家についての資料が展示されています。

池田仲博公爵とは (ウィキペディアからの引用)

1877年(明治10年)8月28日、徳川慶喜の五男として生まれ、初名は(ひろし)。佐野源次郎方へ預けられる。1880年(明治13年)9月、徳川邸に戻る。1887年(明治20年)3月に兄厚とともに静岡から東京に移り、4月に学習院に入学した。1890年(明治23年)2月25日、従兄にあたる侯爵池田輝知が嗣子なくして死去したのに伴い、その次女・亨子(みちこ)と結婚し婿養子として池田侯爵家を相続・襲爵した。同年4月11日、輝博と改名する。1894年(明治27年)1月25日、明治天皇の五男の輝仁親王と1字が重なることから、鳥取藩初代藩主池田光仲一字を加えて仲博(なかひろ)に改名

1896年(明治29年)5月、同族の子爵池田源[2]とともに北海道十勝地方中川郡におよそ300万坪の原野(利別太・下利別に約220万坪、ウシシュベツに約70万坪)の貸付を得て、池田農場を開設しました。

1896年(明治29年)に学習院初等科を卒業、さらに1898年(明治31年)11月25日に陸軍士官学校(10期)を卒業、翌1899年(明治32年)6月27日には陸軍歩兵少尉に任官。第一師管軍法会議判士、陸軍幼年学校生徒隊中隊付などを歴任した。1909年(明治42年)9月30日、予備役に編入された。

1902年(明治35年)7月から貴族院議員(侯爵議員)を務め、火曜会に属しました。

1907年(明治40年)、仲博は当時の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓時の宿泊施設として鳥取城跡の扇御殿跡に自身の別邸を建てた。これがいわゆる「仁風閣」である。「仁風閣」の館名は、この行啓に随行した元帥海軍大将東郷平八郎が命名されました。

1910年頃に俳句をやり高浜虚子の指導を受け、父・慶喜と虚子を引き合わせたこともある。

1946年(昭和21年)4月12日、貴族院議員を辞職。1947年(昭和22年)5月3日、華族制度の廃止により失爵した。

1948年(昭和23年)1月1日に逝去した。墓所は鳥取・大雲院(東京・多磨霊園から改葬)。

とてもきれいな洋館です( *´艸`) 入館料も高くはありません。気軽に入れる値段です(^^♪

ブロックで出来た、仁風閣の出来具合も素敵でした(^^♪

らせん階段は登れませんが、らせん階段の全体を見る事は出来ます。支え柱が一本もないです(^^♪

歴史ロマンを感じさせる建物です。鳥取城と合わせて立ち寄ることをお勧めします。(^^♪

仁風閣の詳細
所在地:鳥取県鳥取市東町2-121
TEL・FAX:TEL 0857-26-3595 FAX 0857-26-3595
定休日:月曜、祝日の翌日(月曜が祝日の場合は開館)、年末年始
入館料:(一般) 大人 150円、高校生以下・70才以上 無料 (団体) 20名以上 120円
営業時間:9:00〜17:00(最終入館16:30)

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