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合掌造り家屋は、江戸中期から昭和初期まで、白川村から富山県の五箇山地区にかけて建てられました。古い建物で築300年と言われています。しかし、昭和20年代から始まった庄川流域の電源開発によるダム建設により集落が水没するなどして減少してしまいました。さらに、小集落の集団離村や火災による焼失もあり、合掌家屋の多くが転売され、あるいは消失しました。1924(大正13)年に約300棟あった合掌建物は、1961(昭和36)年には190棟に激減してしまいました。

このままでは遠からず白川村の合掌造りがなくなってしまうという危機感を感じ、昭和40年代に荻町集落の地域住民が、集落内から保存する動きが出てきました。

1971(昭和46)年には、地域内の資源を「売らない」「貸さない」「壊さない」の3原則を掲げ、「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」を全住民の総意で発足し、保存活動の展開が始まりました。

これらの保存活動が認められ、1976(昭和51)年に国の重要伝統的建造物保存地区に選定され、1995(平成7)年には世界遺産に登録されました。

世界遺産に登録された経緯

日本は世界遺産条約を批准した1992年(平成4年)、10件の文化遺産と2件の自然遺産を世界遺産の暫定リストに掲載しました。「白川郷・五箇山の合掌造り集落」は、そのうちの一つです。1994年(平成6年)9月に推薦書がユネスコの世界遺産センターに提出されました。なお、史跡になっていた相倉集落と菅沼集落は、世界遺産登録を見据えて1994年(平成6年)12月に重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。

日本政府は推薦理由として、日本の木造建築群の中でもきわめて特異な要素、すなわち急勾配の屋根、屋根裏の積極的な産業的活用などを備えていることや、そのような集落が、それを支える伝統的な大家族制などとともに稀少なものになってきており、保護の必要性があることなどを挙げていました。また、日本では「法隆寺地域の仏教建造物」「古都京都の文化財」に次ぐ3例目のシリアルノミネーションとなったことについては、それが合掌造りの地域的な広がりを示すものであるとともに、地域ごとの差異を示す上でも好適としました。

普通は、世界遺産は推薦に当たって国内・国外の類似の物件との比較研究を行う必要がありますが、日本政府は木を重んじる文化的伝統を持つ国内でも特殊なものであるとし、ブルーノ・タウトの評価などを引用してはいましたが、他の物件との具体的な比較は示しませんでした。この点については、ICOMOSの評価でも最終的には問題とされず、そのまま受け入れられています。なお、ICOMOSの勧告書は、ビューロー会議の時点では白川郷のみの登録を勧告していましたが、ビューローで五箇山の登録も認められ、勧告書が修正されました。

1995年(平成7年)12月の第19回世界遺産委員会ベルリン)で初めて審議され、世界遺産リストへの登録が認められました。人が住み続けている村落で世界遺産に登録されたのは、ホッローケーハンガリー、1987年)、ヴルコリニェツスロバキア、1993年)に続いて3件目でした。

合掌造りは、茅葺(かやぶき)の叉首構造の屋根が大きな特徴となっており、とりわけ後の時代に建てられたものはその屋根が急勾配になっています。この傾斜は、豪雪による雪下ろしの作業軽減や多雨地帯でもあることによる水はけを考慮したものと考えられている。現在見られる合掌造りにも切妻屋根のもの(白川村や五箇山に多い)、入母屋屋根のもの(旧荘川村に多い)があります。残存している切妻屋根の家屋については、その方が屋根裏の作業スペースが多く取れるからと指摘されています。そして、屋根の勾配を急にしたことは、屋根裏に二層もしくは三層の空間を確保することにつながり、豪雪への対策以外に養蚕業にとっても都合が良いものでありました。世界の建築の一つとして国立民族学博物館には合掌造りの展示として、五箇山初の民宿「勇助」(ゆうすけ)の模型が展示されています。

書院造数寄屋造りなど上層の住宅で使われる小屋組和小屋)と比べ、構造に大きな違いがある。すなわち、和小屋が棟木母屋を下から鉛直方向に支えるのに対し、合掌造りでは両側から「人」の字形に寄りかかった部材が棟木の点で交差する形状となっている。これは一般に扠首(さす)構造と呼ばれ、トラス構造であり、梁材に与える曲げモーメントを低減し、引張力に集中させるという点で、木材の性質上、優れた構造であるとされています。

「合掌造り」はそれほど古い用語ではないようです、1930年(昭和5年)頃にフィールドワークを行なった研究者らによって使われはじめたと推測されています。その定義は一様ではありませんが、日本政府が世界遺産に推薦した際には、「小屋内を積極的に利用するために、叉首(さす)構造の切妻造り屋根とした茅葺きの家屋」と定義づけました。名称の由来は、掌を合わせたように三角形に組む丸太組みを「合掌」と呼ぶことから来たと推測されています。

日本政府の定義では、屋根の急勾配に触れられていませんが、実際のところ、合掌造りの屋根はおよそ45度から60度まで幅があり、初期のものほど傾斜がゆるい傾向にあります。この傾斜は、豪雪による雪下ろしの作業軽減や多雨地帯でもあることによる水はけを考慮したものと考えられています。合掌造り家屋の中では、家内工業として和紙漉き、塩硝作り、養蚕が行なわれていましたが、このうち明治時代以降も継続され、家屋の大型化にも大きく寄与したのは養蚕業でした。

養蚕は地域によっては住居と別棟を作って行うこともあったが、山間にあった集落では少しでも農地を確保するために、住居の屋根裏を活用する必要があったと考えられています。合掌造りが切妻屋根を採用したのも、入母屋造寄棟造に比べて屋根裏の容積を大きく取れるからであると指摘されています。また、屋根の勾配を急にしたことは、屋根裏に二層、もしくは三層の空間を確保することにつながり、豪雪への対策以外に養蚕業にとっても都合が良いものでありました。そして、気候によって普通ならば他の地域のように年に2回を育てることが難しい白川郷や五箇山では、春の遅れを生活で出る暖気によって補うためにも、屋根裏を有効活用する必要がありました。屋根裏の床材には竹簀が利用され、煙などが屋根裏に抜けやすいようになっています。

また、白川郷の合掌造り屋根はいずれもを南北に向けていますが、これは以下の3つの効果を期待してのものとされます。

  • 屋根に満遍なく日が当たるようにし、冬場の融雪と茅葺き屋根の乾燥を促進させる為。
  • 集落は南北に細長い谷にあり、それぞれの方向より強い風が吹くことから、風を受ける面積を少なくする為。
  • 夏場は逆に屋根裏部屋の窓を開放し、南北の風を吹き抜けさせることで夏蚕が暑さにやられないようにする為。

合掌造りの床面積の広さや多層化は、集落の大家族制とも結びついています。かつての白川郷や五箇山では、せまい耕作地が相続によって細分化されることなどを防ぐために、結婚できるのは長男だけでした。その結果として、一つの住居に家長とその嫡流だけでなく、傍系に当たる親族や使用人たちも多数暮らす形となり、力をあわせて農業や家内工業に精を出していたのです。ただし、屋根裏のうち上層部はせますぎて居住には適さず、あくまでも養蚕などの産業用に使用される空間でした。

屋根組みには釘を1本も使わず、丈夫な縄で固定します。これは、雪の重さや風の強さに対する柔軟性を生み、家の耐久性を増す工夫とされているからです。なお、建物そのものに釘を一切使わないわけではなく、床板などの打ち付けには使われています。この釘が和釘(角釘)なのか洋釘(丸釘)なのかは、築造年代を判断する手がかりにもなります。

合掌造りはその保全のために、30年から40年に一度のピッチで大規模な補修や屋根の葺き替えを行う必要があります。これは多くの人手と時間を要する大掛かりなものであり、住民総出で行われました。住民たちは近隣で「組」(くみ)と呼ばれる互助の組織を形成し、その単位を土台として「」(ゆい)を行います。屋根の葺き替えにおいて重要な「結」は、鎌倉時代にこの地に根付いたとされる浄土真宗の信仰に起源を持ちます。屋根は原則として一日のうちに葺き替えを終わらせました。これは降雨を警戒したからとか[、春先に行なわれることが多く、農作業との兼ね合いで複数日にわたって村人達の協力を仰ぐことが難しかったからなどと説明されています。しかし、加須良集落などは住民が少なかったため、複数日に分けざるをえなかったそうです。

急激に進んだ観光地化は、地域社会の生活面で様々な問題を引き起こしています。実際に人が住んでいることへの配慮に欠ける観光客が勝手に戸を開けるなど、住民のプライバシーを尊重しない重大なマナー違反もしばしば指摘されています。

また、生活道路にまで観光客の自家用車が多く見られ、無断駐車も含め、住民生活に悪影響を及ぼしています。そうした混雑が観光地の良さを減殺しているとも指摘されています。白川村では2001年(平成13年)の交通社会実験を皮切りに交通対策に取り組んでおり、2009年(平成21年)9月から大型バスの通行規制が敷かれています。

観光客の増大を受け、白川村では旅館、土産物屋、喫茶店などが次々と建てられました。昭和40年代の景観を守るのが理想でも、それ自体がかなり困難になっているという認識は、世界遺産登録から2年と経たない時点で、関係者から示されています。こうした観光客目当ての建物群は景観保護との関連で問題視され、観光客がひしめいて騒々しいこととあわせ、かつての物静かな山村の景観が失われた度合いは危機遺産に相当するレベルと見なす者もいます。他方で、白川村ではすでに第一次産業従事者が激減しており、高速道路全通に伴い従来の公共事業も減少していくとなれば、今後さらに観光業への依存度が高まるという予測もあります。

そして、観光客の増大とは逆に一人当たりの滞在時間は減っており、宿泊客はむしろ漸減傾向にあります。特にトイレ休憩・ゴミ捨て休憩を兼ねて短時間しか滞在しない団体旅行客の存在は、村にとって環境悪化を招くだけという指摘もあり。滞在時間減少の理由としては、観光客の側に世界遺産の価値を深く理解しようという意思が欠けていることや、交通の便が良くなったことで往復が容易になったことなどが指摘されています。

観光地に行く際には、マナーを守って気持ちの良い旅にしたいものですね(^^♪

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白川郷の詳細
所在地:〒501-5627 岐阜県大野郡白川村荻町
営業時間:24時間
TEL:0576-96-1311
せせらぎ公園 駐車場:収容台数
【大型車】約40台 / 【普通車】約200台 ※二輪車可
駐車料金
【バス・マイクロバス】3,000円 / 【普通車】1,000円 / 【二輪車】200円
営業時間
8:00~17:00
白川郷 公式ホームページ: https://shirakawa-go.gr.jp

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