津和野の街並み
0 1分 3か月

山陰 の 小 京都 津和野

津和野について

津和野には殿町通りというのがあります。その通りには家老多胡家にみられる、江戸時代の武家屋敷や藩校養老館の学校建築、本町通りから祇園町にかけて江戸から明治の商家建築、万町どおりや新丁通りには、明治から昭和初期にかけての町家建築が多数を占めています。戦前の様子を比較的よく残されています。

通りを散策するだけで、江戸から昭和初期までの時代の流れを、垣間見ることが出来ます。

水路は、中世末期から江戸初期にかけて町が整備された際に設けられてもので、現在は西周旧居付近に設けられた津和野川の、取水口から水を取り込んで、地区内に引き込んでいるそうです。その経路は大きく変わることなく、部分的に蓋を施してるところもありますが全般的に蓋がなく、流水を見る事が出来ます。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅 SLやまぐち号の始発駅の一つです

津和野は、山間に城壁と赤レンガの家並みが続き、西には山城の跡が見える城下町です。

どんと焼き、苗木市・鷺舞などがあります。かるた取りも盛んなところでもあります。街には横長につながった水路があり昔の建物も残っています。とても親しみやすい地域です。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

山口線の旅、この看板には停車駅の名前が書いてあります。6月はSLの運行がありませんでした。運行カレンダーを見たら、7月に運行されるみたいなので、予約しようと思ったのですが、SLじゃなくてDLだったので迷いどころです。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

日本遺産のまち、津和野

また、行きたい観光場所です。とても素敵な街です。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

津和野駅の中です(^^♪

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

待合室も、城下町らしい造りになっていてなんだか素敵でした。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

この後ちょっぴりハプニング、写真に写っている末息子が、ふら~っと改札を抜けてホームへ行ってしまい。慌てて呼び戻しました(;´Д`)

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

券売機は、1台しかないみたいです(^^♪

SLの形をした水飲み場、とても可愛らしいです(^^♪

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

やっぱり、SL機関車は貫禄があってずっと見ていても飽きないです。ちなみにSLと言えば、鬼滅の刃の無限列車篇でも登場していましたね(^^♪

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

展示してあるので、汽笛等は聴けませんが、操縦室を観ることが出来ます。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

鬼滅の刃 無限列車篇では、この石炭を入れるところで戦っていた気がします( *´艸`)私事ですが、無限列車篇は映画館で2回観て、そして6月16日に発売された「DVDとBlu-ray 」私は、Blu-rayを選び予約購入しました( *´艸`)

津和野 ぶらり旅

ちょっぴり運転手気分になれるひと時を楽しめました( *´艸`)

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
津和野 ぶらり旅

石炭を入れて、力強く動く姿を想像して、ここから石炭取り出して~罐(かま)にぽい!ぽい!汽笛をぽ~♪

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

椅子はちょっと硬そうで、お尻痛くなかったのかなぁ~っとちょっぴり思ったりもした(;・∀・)

さて、SLも堪能したので、さっそく津和野の町を散策していきます(^^♪

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

安野光雅美術館

令和2年12月に亡くなられた、津和野町出身の画家である安野光雅氏の多彩な作品が展示されています。

本館と別館があり、本館には安野光雅氏の作品が展示してあり、別館学習棟には、再現された小学校制時代の木造教室と四季折々の星空を眺めることが出来る、プラネタリウムもあります。この美術館は、令和3年3月で開館20周年を迎えました。

安野光雅美術館概要
所在地:島根県鹿足群津和野町後田イ60-1
TEL:0856-72-4155
定休日:木曜日(祝日を除く)12月29日~31日
入館料:一般 800円 中高生 400円 小学生 250円
 

開館前の時間だったので、まだ空いてませんでした(;´・ω・)

昭和懐かしい赤く丸いポスト( *´艸`)
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

津和野でも、流鏑馬が行われます(^^♪今回はまだ時期ではなかったので、見れませんでしたが、流鏑馬の時期にもう一度、訪れたいと思います(o^―^o)ニコ

流鏑馬が行われる場所は、鷲原八幡宮という処です。そこには、流鏑馬の馬場があるようです。

流鏑馬の馬場は日本で唯一原型を残していて、毎年4月に行われるそうです。今回は6月に訪れたので時期がずれてしまいました。この流鏑馬神事は多くの見物客で賑わうそうです。弓道経験者の私にとって、流鏑馬憧れの一つでもあります。

時代劇に出てきそうな赴きな、お店がありました。暑くなると屋根のところからミストが出てきていました( *´艸`)
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
レンタカー屋さん?やってるのかなぁ~(;´・ω・)
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

暖簾が出ていたから、そろそろ開店なのかな?( *´艸`)

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

津和野名物、源氏巻のお店を発見、源氏巻とは薄くきつね色に焼き上げた生地に、上質のこしあんを巻平らに焼いた和菓子で、津和野に伝わる歴史ある銘菓です。(o^―^o)ニコ 私も今回初めて食べたのですが、美味しかったです(^^♪

津和野の町には、鯉がいっぱいいます(o^―^o)ニコ

ここは、、、何屋さんなんだろう(;゚Д゚) 何も書いてなさそうなので一般のお宅なのかな??それにしても、立派な門構えで素敵だと思いました(^^♪

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅 三階建て(^^♪

横から見たら、なんと!三階建て!!!木造の3階建てのこの作りは、なかなかいい感じです(^^♪

ここは、本当に何屋さんなのか?一般のお宅なのか?すごく気になりました(;・∀・)

マヨラーメンがとっても気になる。。お食事処かな?とおもったらビジネス宿でした(;´・ω・)

ポストが、かわいらしいです(^^♪
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

今はどこらへん歩いているのかなぁ~、案内板がちょこちょこあるので助かります(^^♪

現在地というところ

とてもおしゃれなお店を見かけました。資料によると、MANTENっていうお店のようで、唐揚げメインの多国籍料理店だそうです。特製のオリジナルソースのかかった唐揚げは評判で、毎日売り切れになるほどだそうです(o^―^o)ニコ、お店のモットーは、旨い!安い!らしいです。店内はアメリカンスタイルの雰囲気だそうです。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅 津和野の街並み
コイに餌をあげるとことが出来ます。エサは100円で売っています。

津和野には掘割だけでなく、津和野川にもたくさんの鯉が泳いでいます。豪雨のと後、川から姿を消した鯉も次第に戻ってきました。映画「男はつらいよ~寅次郎恋やつれ」では、主人公とマドンナ(吉永小百合さん)が将来を語り合ったのも、津和野川のほとりでした。ちょっとした恋愛成就スポットでもあります。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅 案内板
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅 山口県の観光案内板もありました

朝が早かったので、まだ営業していない感じです(;・∀・)

野生のニホンザル発見!
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
野生のニホンザル1匹かと思ったら2匹いましたΣ(゚Д゚)
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅 周り順を確認( *´艸`)

下の写真が殿町通りです。保存地区の南端に位置する殿町通りは、江戸初期に坂崎氏が館を構えたところで、江戸時代を通じて筆頭家老の多胡氏をはじめとした、上級家臣の居住地だったそうです。多胡氏の表門や幕末に移設された藩校養老館の武道場などが良好に残っていて、後に設備された土塀や門と合わせ当時の雰囲気を今に伝えています。さらに昭和に入り、カトリック教会が殿町通りの北端の東側に建設されています。これは、明治になって商人であった堀九郎兵衛の館跡に、キリシタン弾圧により殉教者を弔う為に建てられたものだそうです。津和野の歴史を語るうえで貴重な建築物になっています。

殿町通り
門の表側

この門は、旧津和野藩家老 多胡家表門です。多胡家は、津和野藩の筆頭家老を藩主 亀井家11代にわたり勤めました。この門は同家の表門で、三間一戸薬医門、切妻造瓦葺で、嘉永6年(1853年)の大火の後の建物です。左手に物見が、右手に門番詰め所が残ります。(いづれも入母屋造瓦葺)。構造、意匠とも簡素な造りでありますが、威厳ある江戸期の武家屋敷門の建築様式を今に伝えています。敷地は背面の城山の裾野までありましたが、大正期には国鉄(現在のJR)により、戦後には産業道路(現在、高岡通り】により分断されました。敷地内に江戸期の二階建ての屋敷と庭が残ります。

門の裏側

津和野藩のお屋敷

江戸時代の初期、坂崎直盛の時代には、藩主の邸宅は殿町にありました。坂崎氏は千姫事件を起こし自害したため、津和野での治世はわずか16年でした。その後を引き継いだのは、鳥取の鹿野から移封してきた亀井政矩でした。

寛永2年(1625年)2代政矩の時、邸宅が火災により焼失してしまいました。茲政はこれを機に殿町にあった邸宅を、津和野城の東の直下に移して、新たに東門を中心として櫓や土蔵を建てて、周囲を土塀で囲み津和野城の城郭を形成しました。この邸宅についての詳しい資料は確認されていないけど、単に藩主の邸宅としてではなく、藩の政務も行われていました。

呼び方も

  • 正保年間の石見津和野城絵図には『御屋敷』
  • 元禄期の絵図には、『御館』
  • 天保期の絵図には、『御屋舗』

とあり、それぞれ異なっています。

嘉永6年(1853年)城下南の法音寺下の豊田勝助組為右衛門宅から出火し、城下のほとんどを焼く大惨事が起こりました。お屋敷もすべてを焼失したため、藩の機能を高崎亀井邸に移し、町の再建にあたりました。お屋敷の再建は2年後の安政3年(1856年)でした。

安政3年(1856年)に再建されたお屋敷については、栗本格斎による『津和野城下全景図』や『津和野百景図』等に詳しく描かれています。『石州 津和野 三本松城』によると『御屋敷内の建物は、表御門12棟、大奥10棟、櫓6カ所、門3カ所、そのうち名称のある門は、東ノ御門、これは櫓門で大手の正門、北に平の北ノ御門があり、櫓の名称として、北ノ御門よりに菱櫓、東ノ御門わきに馬屋番詰所なる二層の櫓、また南方には藩主が諸々の行事を見る御物見櫓があった』と記されています。

御屋敷の表空間は、藩の政事を執り行っていた場所でした。番所北側と東側の2カ所ににあり、身分の違いにより入る場所が異なっていたと考えられています。『舗台』を玄関として『広間』や『御用席』『居間書院』などが続き、重要な儀式の際には、『居間書院』が使用されて、藩主は『一ノ間』に着座しました。南東隅には梅林に面した『小坐舗』がありました。廊下により繋がった独立した建物で、格斎は『御書斎』として記しています。藩主が書斎や茶屋として利用していたと考えられています。

 

養老館

津和野藩校養老館は、第8代藩主 亀井矩賢の代、1786年に創建され『儒学』を主にして『漢字』『医学』『礼学』『数学』『兵学』などが設けられていました。のちに武術場も設けられてます。次第に文武両道を学ぶ学校として整備されました。

※現在では、槍術教場と剣術教場が100円にて観覧することが出来ます。写真にも出てきますが、中に説明書きとかが展示されています。

入場料は100円です。券売機があるのでそこで購入します。

槍術教場の扁額は、亀井矩賢が揮毫した『養老館』という文字をもとにしています。

※券売機で、100円払って中に入っていってみましょう( *´艸`) 中の写真を見ながら養老館について書いていきます(^^♪

この養老館にかかわる、先哲たちをご紹介します。

  • 亀井 玆監 (かめい これみ)  1825年~1885年 【 最後の藩主 】
  • 西 周   (にし あまね)   1829年~1897年
  • 森鴎外   (もりおうがい)   1862年~1922年
  • 大国 隆正 (おおぐに たかまさ)1792年~1870年
  • 福羽 美静 (ふくば よしず)  1831年~1907年 

敷物の上を歩いてね(^^♪板の間は土足厳禁ですよ(´▽`*)

養老館での授業風景が掛かれている屏風

当時の様子を描いた絵を観ると、どんな感じの授業が行われていたか、よくわかりますよね(^^♪

第11代藩主 玆監は藩政改革を行い、その中心となったのが教育改革による人材教育でした。国学を中心に蘭医科(オランダ医学)や西洋砲術科を新設し、積極的に最新の学問を取り入れていました。

※当時何歳くらいから、勉学に励んでいたんだろう。(*‘∀‘)<現代の子供の年より若い時期からなのかな~

 幕末期には、幾多の俊才を輩出しました。

  • 西 周は、近代日本哲学の粗
  • 森 鴎外は、文豪と軍医総監
  • 福羽 美静は、国学者と明治天皇待講
  • 山辺 丈夫は、日本紡績業の父
  • 小藤 文次郎は、日本地学会の粗
  • 高岡 直吉は、初代札幌市長
  • 堀藤 十郎は、中国の銅山王
  • 福羽 逸人は、日本近代園芸の粗

など日本近代化に寄与した人物が学びました。

(*‘∀‘)<森鴎外記念会館も、津和野にはあります。

創建当時の学舎は、嘉永の大火(1853年)で焼失してしまいました。2年後に現在の地へ再建されて今に至ります。

現在も建物は、武術教場と御書物蔵の手手物を含む敷地が残り、昭和44年に島根県の史跡に指定されました。

平成27年から保存首里整備に着手して、平成31年に完成しました。

説明書きがあるので、じっくり読んでいきました(´▽`*)

時系列と改革のお話も載ってます(o^―^o)ニコ

先哲たちの説明が置いてあります。

教員の間の途中には、上段がありました(^^♪

上段を真ん中 左右が教員の間になってます(^^♪

当時の写真とかが載っていると、時代を垣間見ることが出来ますね(^^♪

発掘調査で分かったことの説明書きもありました。

この養老館、映画のロケ地に使われていたんですねぇ~(^^♪

 槍術教場

江戸時代の藩校武術場が体感できる空間として、修復しているそうです。

全国各地にあった藩校の中でも、武術場が残された藩校は、養老カニ買いに数例あり

  • 長野県長野市の文武学校
  • 山口県萩市の明倫館の有備館

(*‘∀‘)<機会があったら、この2つの場所へも行ってみたいと思います。

その中で唯一、養老館では土間を伝統的な工法である、三和土(たたき)で忠実に再現したそうです。また、建築当初の梁などの部材が多く残る小屋裏を見せています。

昔の人は、ここで槍の練習をしていたんだなぁ~と想像しながら見学(^^♪

こちらは、剣術教場になります

剣術道場では、養老館周辺に残る伝統的な街並みに関する古地図や古写真の展示を行っていました。

写真左側に、白い机(´▽`*) 門番の方がいらっしゃいました(o^―^o)ニコ

昔の家の作りなので、入り口の段差が大きいです(;・∀・)

入口から手前の部屋

 剣術教場

現在は失われた講堂などの、学問を行っていた場所の機能を現代的に復活させた空間として回収整備しているそうです。そのため、県術教場の土間部分には、活用のために新たな床張りを行って、天井を追加したうえで、空調機等を設置したそうです。

(*‘∀‘)<クーラーがついてたよ~

明治以降に建物規模縮小によって新設された、気が壁を含め建設当初には、なかった建築部材については古色塗りをしていないそうです。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

教員の間、写真向かってスリッパがあるところは、昔は土間だった場所

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

生徒は、座布団とかここに敷いていたのかな~、それとも板の間で正座かなぁ~(;・∀・)

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

昔は土間だった場所に、床が付いたって説明書には書いてあったね(^^♪ この部分はスリッパをはいて見学(o^―^o)ニコ

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

江戸時代の町並み図、現在の地図と見比べても、あまり変わりが無いように見えます(^^♪

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

こちらは、明治時代の町並み図

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

江戸、明治、現代の町の様子がよくわかる説明が貼ってありました。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

県術教場のところにも、上段(藩主の間)がありました(o^―^o)ニコ

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

上の写真?絵?の方が最後の藩主 亀井玆監

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

岡 熊臣 日本書紀私伝を書いた人

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

(*‘∀‘)<白い建物が、御書物蔵!

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

蔵の前には、森鴎外氏の遺言碑がありました。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

この建物なんだろう???説明書きがなかったので、詳細がわかりませんでした(;・∀・)

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅 
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

津和野 町役場 

建物は対象8年(1919年)に鹿足郡役所として建てられました。郡役所の制度が廃止され、一時期警察署として知油されていましたが、昭和30年(1955)の町村合併で津和野町役場となり、現在も現役の役場庁舎として使われています。外観は今日まで大きな改変はなく当時の面影を良好に残しています。大正期に流行った和風公共建築で、木造瓦葺平屋建です。両側の部屋を前面にせり出し平等院鳳凰堂をイメージした外観となっています。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
向かって右側の部屋
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
向かって左側の部屋
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

この門は、大岡家老門です

表門は家老大岡家の正門が明治の初めに取り外されて、保存されていたものを、昭和50年代に今の場所へ戻し併せて周囲の土塀なども復元されました。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

前面の殿町通りは江戸期の面影を良好に残しており、はじめは道路の西側(役場側)にのみ水路がありましたが、明治18年(1885年)の国道整備に伴い、新たに道路の両側に水路が整備されて現在の姿になりました。津和野のイメージとなっている鯉は、民俗学者宮本常一さんの提案によって、昭和9年(1934年)に放流されたのが今日の姿の始まりになっています。水路には花菖蒲の植栽され、今では津和野になくてはならない殿町通りを彩る名所となっています。

花菖蒲の開花時期は6月から7月ごろです。しかし今回行った時は、まだ咲いていませんでした(;´・ω・)

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

鷺舞神事

かつて京都の八坂神社祇園会で演じられていたものが伝えられたとされている鷺舞神事

国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

祇園祭りの時、弥栄神社からお旅どころまで、辻つじで『ヤァーかわささぎ・・・』の唄と笛の音に合わせて舞います。

【7月20日、27日ごろ】

神様の休憩所

上の写真は、お旅所の鳥居です。

元和3年(1617年)、亀井政茲が今の地に『祇園社』※今の弥栄神社※ の御旅所として『祇園社休堂』を作ったのが始まりと言われています。当時はまだ町の整備が始まったばかりで、町の北端を決めるため、藩の庇護のもとに置かれていた、『祇園社』の御旅所※すなわち、祇園祭りでの神様のお休みどころ※ としておかれたものです。

その後、松林山天満宮の大祭や太鼓谷稲荷神社の大祭における、御旅所としての役割も担うようになりました。

祇園祭りの神輿の巡行には、国の重要無形文化財の津和野弥栄神社の鷺舞も供奉し、御旅所でも奉納されています。

鷺舞は、天文11年(1542年)津和野城主吉見正頼が大内義興の息女を迎えたことから、京都から山口に伝わっていた鷺舞を、疫病鎮護のために津和野でも行いうようになったとされています。その後。関ケ原の合戦で惨敗した吉見氏は津和野を追われ、鷺舞はいったん途絶えてしまったが、三代藩主 亀井政茲の時代に、現在の形へと復興しました。以来鷺舞は津和野の人々によって、絶えることなく継承されています。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅
山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

半年前から、改築工事がされていたカトリック教会、改築前は銅の屋根が緑色をしていたのですが、今回の改築により、綺麗な屋根に戻りました(^^♪ちょうど訪れたときに、足場の撤去が行われていて、タイミングよくきれいな屋根を観ることが出来ました。街の人たちが、今日足場撤去されたんだよぉ~、タイミングいい時に来られましたねって言ってくれました。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

このお店は、カトリック教会の向かい側にあります。レトロな雰囲気がとても良かったです。

熱かったので、アイスのメニューが目に入ると食べたくなりました(o^―^o)ニコ

ちょうど、ちびちゃんも喉が渇いたといっていたので、このお店で一休みしました(^^♪

沙羅の木

こちらは、田中家店舗兼住宅になっているそうです。明治中期の建物で、田中氏は昭和に入って絹布工場、戦後には観光業を営んでいるそうです。通りに面した土蔵と主亭に囲まれた庭園も素敵です。

山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

追記

津和野には、嘉楽園というものが有りました。

津和野高校前に広がる、町営住宅『藩庁跡住宅』は、江戸時代においてお屋敷の庭園でした。そこは、『嘉楽園』と呼ばれた津和野藩のお屋敷の一部で、現在は町営住宅が建っているので、残念ながら当時の様子を想像することが出来ません。

嘉楽園の造園の年代は不明ですが、天明3年(1783年)に藩主が藩校養老館学頭の山口剛斎に『嘉楽園21景』を選ばせたということから、この頃には完成していたものと思われます。

格斎の描いている『津和野城下全景図』や『津和野百景図』、『嘉楽園21景』とでは一致しない点がありますが、前述したように、嘉永6年の大火によるお屋敷焼失に伴い改変された可能性もあります。

庭園の北側にはモミジ垣とお屋敷をわけています。お屋敷からは、モミジ垣の間に設けられた門をくぐって、庭に入ります。庭の南側には、津和野城の大手の土塀に、西側には山の麓にある藤棚で。東側には馬場に沿った土手によって周囲が囲まれていました。

庭園の山側には池が広がり、池の南側に小さな島がありました。池に張り出すように縁側が設けられた茶屋『釣月』がありました。

(*‘∀‘)<池に張り出すように設けられた茶屋って、夏は涼しそうだね

格斎は茶室について、『この天井には佐々木玄竜の筆議の大文一面にはりつけあり 襖張り壁障子腰板ともすべて洞山岡野美高筆雪中の山水也 御床の間の落としかけ八唐木檳榔子なり』とあります。(一部抜粋)

茶室内には、藩の絵師による板絵や奇木を使った床の間など、当時この地でも流行った煎茶文化を感じさせる造りとなっていたと思います。山裾には、『御茶の水』と呼ばれた湧き水もあり、お茶専用の水を汲むための場所でした。

池の西側には藤棚が整備されていて、釣月亭の南のみさきから土橋を掛けられて池を渡ることも出来ました。

庭の北東隅には、土塀に囲われた田があったそうです。藩主自ら米を作り、飢饉の際には民に分け与えたといいます。

(*‘∀‘)<なんて、民思いの藩主なのだろう♪素晴らしいですね(o^―^o)ニコ

その脇には江戸から持ち込まれた、花菖蒲が描かれています。花菖蒲の脇には楠化石といった希石、釣月の南には、同時としては珍しい蘇鉄、多胡氏から貰ったという臥竜松などが植えられていて、大名庭園にふさわしい作りだったそうです。

動画でも、津和野の町並みをご紹介しています。ホームページの記事と一緒にぜひ見てくださいね(o^―^o)ニコ

ホーム » ブログ » 山陰の小京都 津和野 ぶらり旅

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA